2009.11.29  『ピノキオ宴会』   長野市/飯綱高原    




  
  
  
   
  


2009.10.19〜21       『沖縄10景』          撮影/伊藤 光之さん

先週前半(10/19〜21日)沖縄へ行って参りました。夏の喧噪も去り、日中の気温27℃と過ごしやすく、台風20号もまだフィリピン沖にいました。首里城〜琉球村〜恩納村〜読谷村〜沖縄海洋公園〜平和公園といった行程でした。

  

  

 

 

写真は、琉球美人、オバア踊り、エイサー、
シーサー、沈みゆく夕日、ナプレオンフィッシュ、
カクレクマノミ、ジンベエザメ、空飛ぶイルカ、花と蝶です。


2009.10.03        ひさびさに店内の様子でも


  
11月下旬あたりに、恒例の『ピノキオ宴会』やります。

  

 ← おまけ/大阪のアヒルです


2009.09.21       『飯綱山にも秋がきました』       撮影/伊藤 光之さん

皆様、シルバーウィーク連休をいかがお過ごしですか?
ここ数日、善光寺周辺から長野県庁あたりまで大渋滞の様子を見て、ちょっと遠出を控えざるを得ない気持ちにさせられました。この連休に妙高山→火打山→焼山を縦走しようと考えていましたが、そんな事情で近くの飯綱山→瑪瑙山縦走に変更しました。朝8;30頃に家を出て、直接バードラインに入ると、まだ渋滞の波は押し寄せていませんでした。戸隠中社奥にある「チビッコ忍者村」の先、飯綱山中社登山口まではスルーパスで順調でした(帰りは中社まで大渋滞)。

  

中社から稜線をたどる飯綱西登山道です。春山登山スキーでよく利用するコースですが、こちらから登る人はほとんどいませんでした。静かに一人で山を登りながらの友は、いつも中波ラジオで聞くNHK第一放送。今朝は休日特別番組「鎌田 實 命の対話・がんばらない介護」の3時間放送でした。ゲストはジャズピアニストの綾戸知恵さん。「まいど!」と元気な挨拶が彼女のキャラですが、この1年は母親の介護に専念していたといいます。いつも明るく見える人でも(表面的には)、人に見えないところで大変な苦労をしているのですね。飯綱山頂にさしかかる11時台には、彼女の「アメージング・グレース」のピアノ演奏にのせて、鎌田 實さんのオリジナルエッセー朗読がありました。義母の介護を経験したゲストの荒木由美子さんやアナウンサーまでもが号泣してしまい、その様子を聞いた私ももらい泣きしてしまいました。ラジオを聞きながらたった一人で登山を3時間近くも続けていると、こんなピュアな気持ちになれるのだな、と思いました。

  

標高1917mの飯綱山頂近くでは紅葉が始まっており、秋本番の装いです。これから緞帳が下りるように里にも紅葉が降りてくることでしょう。紅葉前線降下の予告編として、8枚のスナップ写真を貼付送信致します。

 

画像は、山頂付近の紅葉-1、山頂付近の紅葉-2、トリカブト、
山頂の紅葉、戸隠連峰と秋の雲、リンドウ
戸隠スキー場、下山道の紅葉です。


2009.09.19       『ハラ減った〜』           撮影/こよて

「ハラ減ったなぁ。こんなことなら駅で柿の葉寿司でも買えば良かったなぁ」桓武天皇陵の前でおにぎりを頬張っている老人を横目に呟いた。コンビニの一軒ぐらいあるだろうと思っていたのが間違いだった。近鉄丹波橋駅からこの天皇陵までの道中には何も無く、あるのは静かな住宅地と長い参拝道のみ。その老人は天皇陵巡りをしていて、常に弁当持参だそうだ。思い付きで行き当りばったりのオレとは初志からして違う。「次に行く伏見桃山城は、以前遊園地だったのでタコ焼きくらいはあるだろう」と、心に言い聞かせ、自身を誤魔化しながら城へと向かった。

  

甘かった、タコ焼きどころか金を使う所が一切無い。2003年の遊園地閉園後、京都市がスポーツ公園として整備しており、天守閣の横にはグランドが多数あるので、探せば自販機くらいは見つかるだろうが、そんなもの今のオレは求めていない。コンクリートで出来た城は嘲笑うかのようにオレを見下していた。次に行く明治天皇陵より京阪電車桃山南口駅への想いが強くなりだし、城から続く参拝道の歩みが速くなる。

  

意外であった。といっても食堂や売店があった訳ではない。陵墓のことである。天皇陵といえば墓の上を木々が覆い小山のような形をしているものだと思っていたが、全く違った。造営後100年というのが新しいからなのか、積まれた石がむき出し状態の円墳なのだ。陵墓へと続く長大な石段や巨大な杉木立の参拝道もそうだが、見続けていると畏怖の念を抱いてしまう不思議な空間である。とにかくデカイ。オレは暫く呆然と立ちすくんでいたが、思い出したように陵墓を後にし足早に桃山南口駅へと向かい、駅前にある小さな店のオムライスの文字に引き寄せられ店内へ入った。

  
帰宅後、地図を調べてみて面白かった。伏見桃山城跡周辺の地名には、毛利・筑前・鍋島・本多上野・周防板倉・松平武蔵・美濃・駿河・長岡越中、などの名前が今も使われているのだ。

桓武天皇陵/柏原陵(かしわばらのみささぎ)
明治天皇陵/伏見桃山陵(ふしみのももやまのみささぎ)


2009.08.30        『 集 落 』           撮影/こよて

 久々に松本方面へ行った。朝の仕事が早くキリが付いてしまい午後の用件までかなり時間がある。いつものファミレスではなく少し足を延ばして何処かで美味いモノを食うことにした。「山形村にそば集落ってのがあるんっすよ。そこは普通の民家でそばを出す蕎麦屋が沢山集まっているみたいっすよ。自分まだ行ったこと無いんっすよ。ちょっと遠いっすけどまだまだ時間ありますからそこ行きましょうよ」同行の後輩が煙草に火を着けながら言った。近年ほとんど耳にしない集落という言葉の響きはオレをさっそく山形村へと向かわせた。

  唐沢川沿いに蕎麦屋が点在している。車で川沿いの道を奥へと進んで行き取り敢えず一番奥にある蕎麦屋に入ってみた。地理学上では確かに集落になるのかもしれないが夢想家のオレのイメージしている集落とは少し趣きが違う。そのイメージを今ここで説明するつもりはさらさら無いがとにかく違う。通り過ぎた時に見た幾つもの蕎麦屋の外見もいたって普通の蕎麦屋の店構えである。さすがに都市部の蕎麦屋と比べると違うかもしれないが長野山間部では普通の店構えである。しつこいようだが普通である。
オレ達が入った店は旅館を改装したらしく明らかに普通の民家ではないしオレが蕎麦を食ったのは大広間のカラオケのスピーカーの前だ。それはそれでオレが好きな状況ではある。

  
 さて肝心の蕎麦の味だが。オレ好みのダシの効いた旨いツユと新蕎麦の時季が楽しみだと思わせる香りが良くコシのくたびれた粗挽き蕎麦は数分でオレの胃袋の中に消えていった。短く切れ切れになったソバを食うのにこんなにも体力を使うものなのかと残ったツユに蕎麦湯を注ぎながらオレはタメ息をついた。 案の定午後の結果は良くなかった。 世の中だいたいそんなものである。


2009.08.22        『浜松は音楽の街だに』         撮影/こよて

 同窓会へ出席する妻に付き合って浜松へ行ってはみたももの、妻の実家にいても何もする事が無く居場所も無い事に気づいたオレは、久しぶりに浜松駅周辺へ一人で出かけ、姪が勤めているという浜松市楽器博物館に立ち寄ってみたに。

  
  この博物館は、バリ島やジャワ島のガムランセット一式から、アフリカ少数民族の水太鼓や泥太鼓という良く判らない代物、昔のカラオケ代用機器のドンカマ、果てはRoland System-700など、古今東西の楽器を展示している。個々の展示楽器前にはヘッドフォンがあり楽器の音色も聴く事が出来るようになっていて、楽器好きにはたまらない空間だ。プログレ大好きなオレとしてはmoog-lllがなかったのがちょっと残念。当然、世界各国の太鼓などが叩けるコーナーもしっかりと設けてあり、これも当然のようにその中はチビッ子達の喧噪で溢れんばかりだに。

  
 博物館でグニャグニャになった頭の中を整理すべく、歩いて5分程の場所にあるカフェに入った。このカフェは凄いオーディオシステムでジャズを流しており、ネットや雑誌でも紹介されている。スピーカーだけでも、ドイツのアバンギャルド製のシステムで1800万もするらしい。しかしここは、いわゆるジャズ喫茶では無く、あくまでも珈琲紅茶専門店である。京都の六曜社を思い起させる低い椅子に身体を落とし込み、東海地方らしくオツマミの付いた一杯500円の珈琲を飲みながら、超高価なシステムから提示される健やかで余裕のある音に身を任せると次第に目蓋が綴じる極上の音空間である。隣に女子3人組がすわりオシャベリを始めるまではそうだった。極上であった。やはりココはあくまでも珈琲紅茶専門店である。アルバム3枚程を聴いたところで妻から着信があったので店を出て連絡してみると。今、家に叔父が来ていて、ジャズが好きなら叔父の後輩がやっているジャズ喫茶に連れて行きたいから駅前のホテルの前で待っていろ、という話だった。

  
  その後、オレは叔父の好意に素直に甘え、10分程で迎えに来た叔父の車に乗り込み、超コツな店主が営むジャズ喫茶で迫力のある手作りスピーカーから溢れ出るカーティス・フラーに涙した。

※画像は、上中段が浜松市楽器博物館、下段は珈琲紅茶専門店の画像です。


2009.07.31        『港とJAZZと赤れんが』         撮影/こよて

 長野への帰路は若狭を経由した。かなりの遠回りだが、宮津市にある籠神社(このじんじゃ)を見たかったのとETC割引の時間調整もあったので、あえて600kmのルートを選んだ。京都市内から丹波山地を通り抜け、宮津での参拝を済ませ、天橋立を眺めて煙草を燻らし、西舞鶴でかなり遅めの昼食をとった後、東舞鶴の国道を走っていると港のちかくに沢山の赤レンガの建物を見つけたので、そのエリアに入ってみた。

  
 ここは旧海軍の施設跡で、現在は舞鶴赤レンガ倉庫群といい国の重要文化財に指定されているらしい。あいにく赤煉瓦博物館は閉館時間が過ぎていたので入れなかったが、舞鶴市政記念館が20時まで開いているので行ってみた。

  
  なんと、入口はいきなりJAZZの看板である。一階が喫茶室で、二階は赤れんがジャズミュージアム。このミュージアムは『進駐軍とジャズ』や『日本のジャズの歴史』を紹介しているらしい。どんなものが展示してあるのか見てみようと思い階段を上ると、予想どおり照明が消えていて閉館中。やっているのは喫茶室だけだった。この施設では年間を通して定期的にジャズライブを行い、夏には舞鶴赤煉瓦ジャズ祭も開催しているみたいだ。別に先を急いでいた訳ではないのだが、結局コーヒーも飲まずトイレを借りただけで赤煉瓦を後にした。


2009.07.28        『コロッケ』         撮影/こよて

 先日、実家の用事で京都へ行った時。久しぶりに家族が集まり夕飯を食べていたら姉へ電話がかかってきた。姉は電話の相手に「コロッケ30個でええんか?じゃあ用意しとくわ」と言っている。電話がおわり、私は姉に訊いた「なんなん?コロッケって?」姉は意外な顔をして「あれ?言うてへんだか? あんな、家の近くにあるお肉屋さんのコロッケがめちゃめちゃ美味しいねん。中身は大そうなもん入ってへんにゃけど、小さい時に食べたコロッケと同じ味やねん。ほんでなぁ、いつもは2個110円なんやけど、火曜日は3個で110円なんや・・・」と、しばらく姉はそのコロッケのことを語り続けた。電話は京都郊外に住んでいる友人からの依頼だったらしい。
 数日後、私は姉行きつけの飲み屋に呼ばれた。醍醐から地下鉄などを乗り継ぎ、嵐電の龍安寺駅に降り立った。前回来た時は龍安寺道駅だったのだが、いつのまにか名前が変わっている。京阪電車も以前は、丸太町・四条・五条だった駅名が、神宮丸太町・祇園四条・清水五条へと変更されていた。これは市営地下鉄の駅名との混同を避けるためなのか、それとも観光客が判りやすいようにとの改名なのか。そんなことは別にどうでもよい。今日は火曜日なのだ。コロッケ3個110円の火曜日なのだ・・・。

   
※画像でコロッケが2個しか写っていいませんが、1個は写真を撮る前に私のお腹の中に消えてしまったからです。姉が言っている味は間違いありませんでした。次回は車に冷蔵ケースを積んで買いに行こう。


2009.04.18 20       『祇園祭と白馬岳』         撮影/伊藤 光之さん

京都千年の歴史・祇園祭
7/17(金)京都祇園祭・山鉾巡行に「裾花観光ちょこっTrip」の夜行日帰りバスで行ってきました。今更私が言うまでもなく、京都祇園祭は千年の昔(平安時代)、都に流行した疫病封じのため始まりました。町衆といわれる都の商人たちが、それぞれの山鉾町の心意気を示す「動く美術館」とも言われる山鉾巡行です。あいにくの戻り梅雨で、小雨模様でしたが、そんなことには関係なく勇壮かつ華麗な巡行は予定通り行われました。本年も四条河原町の阪急デパート前に朝8時頃から陣取り、午前中いっぱい「辻回し」を中心に堪能しました。その後「錦小路・かね田」で鱧のバラ寿司松花堂弁当を食し、巡行のしんがりを勤める百足屋町の南観音山へ。今年も揚柳観音様の身代わりとなった縁起の良い柳の枝を何本か授かり、長野より同行の皆さんにも福分けしました。方丈記の冒頭にある「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし」人と家は次々と入れ替わるが、祇園祭だけは千年の時を越えて変わらず行われるという「歴史の重み」を感じた一日でした。
PS:北海道大雪山系で10人の遭難死があったばかりですが、お天気と相談しながら明日(7/19)白馬大雪渓を登ります。無事帰還したおりには、「白馬岳お花畑」の写真などお届けするつもりです。お楽しみに。

  
  



海の日(7/20)の今日、白馬岳から下山してきました。
昨日(7/19)は、大雪渓までは小雨状態でしたが、小雪渓を過ぎたあたりから強風と霙に見舞われました(遭難するかと思った)。ゾウ岩近くの岩の窪みでビバーグしていると、後から登ってきた白馬頂上宿舎常駐・昭和医大生の交代要員から「あと30分もかかりませんから頑張りましょう!」と声をかけて頂き、大嵐のなか、彼らと一緒に無事頂上宿舎に到着しました。
昼頃に頂上宿舎に入り、体を温めるためフレスコに入れて持ち歩いている「マッカラン12年」で暖を取りました。翌朝はうってかわって穏やかな夜明けとなり、白馬岳山頂から小蓮華岳、そして白馬大池→乗鞍岳を縦走して栂池へ下山しました。急変する山の天候の中、街場で抱えたストレスや、わだかまりはいつの間にか消えて、ニュートラルな自分が居ました。登山の魅力はこれだからやめられない。「みみずくの湯」につかり、白馬三山を眺めながら充実感を味わいました。

  

  



2009.04.09        『奥裾花渓谷の春』         撮影/伊藤 光之さん

4/9(土)全国的に五月晴れの今日、奥裾花渓谷・山岳自然公園を歩いてきました。今年は「鬼無里・山岳自然公園」の右岸ルートが土砂災害により通行止めでした。左岸ルートを交互通行で使用するため、入園料は無料扱いでした(通常は大人一人400円)。市街地では「夏日」の天気予報も出される中、奥裾花渓谷はまだ長袖でないと寒い。周辺の山の日陰には、雪が残っています。だから、山桜も今が満開。

  
  
  

上/山桜、フキノトウ、雪と水芭蕉
中/トカゲもこんにちわ、水辺の水芭蕉、清流の山女
下/名も知れぬ可憐な花、山にも春が、五竜岳の武田菱


2009.04.12  『お花見2009』   長野市/蚊里田神社    撮影/こよて&布袋さん

  
  
  


2009.04.04        『春の花』           撮影/伊藤 光之さん

飯田の桜は満開
本日(4/3)仕事で飯田市へ日帰り出張してきました。飯伊地場産業センター前の「ソメイヨシノ」が満開でした。周辺の家族連れや、老人福祉施設の皆さんが「お花見弁当(昼)」を召し上がっていました。私も駒ヶ岳SAで購入した「ソースカツサンド(300円)」を片手に、「プチお花見弁当」しながら散策してきました。帰りの高速道路を伊那ICで途中下車し、高遠城址公園を下見してきましたが、「高遠コヒガンザクラ」は、まだ蕾でした。杖突峠の「ソメイヨシノ」も、まだ固い蕾です。今週末は「飯田市のソメイヨシノ」が満開で見ごろ。来週上旬以降高遠城址公園が開花、といった状況です。「お花見へ向けて心の準備」をしている皆様のご参考まで。

  
旭山のカタクリ
今年は春の訪れが早く、例年私の誕生日(4/18)頃に開花する「旭山のカタクリ」が既に開花しました。明日から5月一杯、善光寺周辺はご開帳の賑わいで大渋滞は間違いありません。ちょっと目先を変えるとこんな穴場もあるのです。長野商業高校から細い道を西に向かい、里島発電所の駐車場から5分ほど西奥に入ったところです。木道も整備され、普通の靴でも入れますので、カメラ片手に散策してみてはいかがでしょうか?

  
画像は、カタクリの花、リュウキンカ、オオイヌノフグリです。


2009.03.21        『京都にも善光寺がある!!』         撮影/こよ〜て

先日、菩提寺である京都の真如堂に彼岸の墓参りに行った時、ななななんと、境内に善光寺があるのを発見いたしました。
   
真如堂(しんにょどう)は通称であって、正式名は真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)という天台宗のお寺です。ここの境内には茶店を出すお堂があるので、墓参りをした後に、そこで一服しようと思って行き見つけました。中にはちゃんと善光寺如来も安置されていました。もう何十年も年に数回この寺には通っていますが、普段は塔頭と墓地にしか行かず茶店も横を素通りするくらいだったので、今までは全く気が付きませんでした。私も初めてなので上手く説明できません。詳しくは下記リンクからHPをご覧ください。現在の住まいの隣にある善光寺と京都の菩提寺とが繋がっているって事の発見は嬉しいです。ちなみに、その茶店は営業しておらず息子が自販機で買ってきたジュースでお茶を濁しました。右二枚の画像は、長野へ帰る時に立ち寄った彦根城と城主ひこにゃんです。


茶所 善光寺如来
  紅葉シーズンなどには床机が並び、抹茶や甘酒の接待が行われる「茶所」。昔ながらの建物、床机に掛けられた赤い毛氈、朱傘と、カメラマンの絶好の被写体です。 茶所は、ただ湯茶を接待するための建物ではなく、建物の中心に仏間があり、一光三尊の善光寺如来の御分身がまつられています。 この善光寺如来御分身は、元禄7年(1694)の6月下旬から8月30日の間、真如堂で行われた善光寺如来の出開帳があった時のものです。 
真如堂の公式ホームページより転載  http://shin-nyo-do.jp


2009.03.19        『春山スキー登山』         撮影/伊藤 光之さん

昨年11月のボジョレパーティー帰りに骨折して以来、リハビリを重ねて参りましたが、やっと本年度の「山スキー登山」デビューを果たしました。春分の日を前にして忙中閑あり、ちょっとの隙間時間を利用して戸隠瑪瑙山→飯縄山鞍部→御泉水雪原→高デッキ山とめぐりました。ここ数日「春のような好天」で、雪はザクザクにくさり、黄砂まで降ったものですから、ブレーキをかけられながら滑降するような感じでした。年度末で、もうひと山仕事を片づけなければなりませんので、本年度はこれが最初で最後の「春山スキー登山」になるでしょう。

  
  
左奥が「高デッキ山」、飯縄山の鞍部、御泉水雪原1、
御泉水雪原2、高デッキ山へシールを着けて登る、山頂から飯綱山を望む


2009.02.24        『伊豆はもう春です』        撮影/伊藤 光之さん

  
  
左/『西長野』雪上の雀 中/『東伊豆』河津桜と菜の花 左/河津桜接写
右/河津桜とヒヨドリ-1 中/河津桜とヒヨドリ-2 右/河津桜と目白


2009.01.04        おみくじをもらいに戸隠神社奥社へ


  
  
  
  
   
  
戸隠神社の御神籤は一味違います。 最初に社務所受付で神官さんに自分の年齢を伝えます。そうすると神官さんは奥の部屋へ行って祝詞を唱えて札を引きます。これは見えませんが、祝詞とじゃらじゃら札を引く音は聞こえてきます。 そしてお札を持った神官さんが出てきて「あなたの御神籤はこれです」っと渡してくれます。(奥社は正月以外はやっていないので、ご注意を)
※詳しくは信濃毎日新聞の折込情報誌『Do!sul/1月号』の『あらため日記 にわかおみくじ調査報告/高井綾子作』をご覧ください。 私たちもこれを参考に行ってきました。


2009.01.01        ミュージシャン

明けましておめでとうございます
2009年01月01日 午前03:00頃から04:30頃までの画像です
  
  
  





Copyright (C) jazz-Musician, All rights reserved.